2010
夕暮れの遺跡外。その足取りは重かった。結局探索中に白猫のシオンを見失ったまま見つけることは出来なかったが、先日も言った通り彼は完璧主義だ。夜になればいつもの蔵書庫へと戻るだろうと思い、あたしは盗賊ギルドの竜眼に依頼の件を話して拠点を出た。
『両方受ける』と言った時の竜眼の心底嫌そうな顔といったら・・・・・あんな顔を見るのは十数年ぶりくらいか?まぁ、出来上がった偽者の首を持って相手国の盗賊ギルドへ交渉に行くのは必然的に竜眼になるので、彼が嫌な顔をするのはごく当たり前の事なのだが・・・・・・
「でもなんかいつもの嫌な顔と違った気がするんだよなぁ・・・・」
歩きながら小さく呟いて後頭を掻いた。
気がするというだけで確証は無いが、こういう時の嫌な勘というものは割と当たるものだ。けれども無理を言っているのはあたしの方なので、竜眼があたしの提案を承知してくれる分には追及する事はやめておいた。
ともかく、これで本当に後戻りは出来ない。まさか、あの不完全なものを竜眼に持って行かせる訳にはいかないのだから。
この交渉が上手くいかなかったら・・・・・本当にその辺の浮浪者あたりを手にかけるしかなくなってしまう。自分で決めたことなのでそれを後悔するつもりは無いけれど、心が痛まないと言ったら嘘になるわけで。あと数十メートル。そこの道を曲がれば目的地。もやもやとした気持ちと堕ちていく思考を落ち着かせるために、深呼吸をひとつしてあたしは歩を進めていく。
「いらっしゃいませ」
目的の店に到着して間もなく、声を掛けてくる。白い服に白いエプロン、そして白い帽子。黒髪の癖毛に黒い瞳。少し伏せがちの目蓋の青年、肉屋の店主のアキがにこりと笑って出迎えてくれた。
「今日は少し遅いんですね、ルフィナさん。間に合ってよかった・・・・もう少しでお店閉めるところでしたよ?」
バザール用の小さなボックスタイプの出店。カウンター内から彼が見下ろしているので、もともと背の高いほうでもないあたしは必然的に見上げる形になる。
「そっか。遅くにごめん」
閉店時間を狙ってきたのでギリギリなのは知っていたが、なんとなくバツが悪くてあたしは頬を掻いて苦笑しながらアキに謝った。
「大丈夫ですよ。・・・あ、そうだ。残り物で良ければこの間の変わり串でも食べますか?ルフィナさん気に入っていたみたいですし」
後を向いて奥を探すアキ。そのタイミングにあたしは右の腰に刺さった鑢と肉切り包丁3本を確認する。思ったよりも多い。これからの交渉内容を考えれば奪うか置いてもらうかしておきたいが・・・・
「はい、どうぞ」
いきなり目の前に出された変わり串とアキの顔に思考を中断される。変わり串の香ばしい匂いにあたしは無意識に手を伸ばしそうになったのを泣く泣く踏みとどまり、串ではなくアキの手を掴んだ。不意の事だったらしく、アキは怪訝そうにあたしの顔を覗き込むと首を傾げる。
「あのな、アキ。話があるんだけど・・・・・」
努めていつもと変わらない様子を作り、意を決して切り出した。
「?・・・・はい、大丈夫ですが・・・・どうかしたんですか?」
アキは不思議そうな表情そのままで尋ねてくる。あたしは彼の手を離すと、辺りを見回して人が居ないかを確認して言葉を返した。
「ここじゃちょっと・・・・場所、変えても良いか?」
恐る恐る彼の顔を覗き込む。
アキは数度瞬きをすると、どこか困ったように笑って、
「ええ、構いませんよ。では店の戸締りだけするので少し待ってもらえますか?」
そう答えた。
程なくしてアキが店から出てきたのを確認すると、あたしは彼の手を引いて場所を誘導するために前を歩いた。思えば、自分が友人だと思っている人にこういった裏の話を持ちかけるのは何十年振りかもしれない。どんなに覚悟してもこの嫌な気持ちは晴れるわけじゃなくて、アキが『気にしない人ならいいんだけどな』とか在りもしないことを思う。この店に来る前に確認した遺跡街から少し外れた小さな林。入るときに引いた手が少し強張ったような気がした。
「何処まで行くんですか?」
アキが尋ねてきたけど、あたしは何も答えない。その中の木々が少し開けた小さな広場。陽は沈んでしまったが月明かりが葉の間から零れているので、それほど暗くは無い。
「此処なら大丈夫かな」
人通りも少なく、奥に入ればまったくといって良いほど人が来ない場所まで来て、あたしは足を止めて彼の手を離した。他人の気配も、勿論無い。あたしは『仕事』に気持ちを切り替える為、アキに気付かれないように小さく深呼吸をする。そしてくるりとアキに向き直ると彼のすぐ近くまで歩み寄り、顔を近づけてその黒い瞳を覗き込んだ。
アキがいくらか驚いた表情でこちらを見返す。覗き込んだのは、『香り』を確かめる為。そして、これからする行為の注意を逸らす為。あたしはいつもよりも低い声で口を開いた。
「ニンゲンの血と肉の臭い。それも、まだ新しい」
呟いて、彼の腰の得物に手を伸ばす。
「─────・・・っ!?」
瞬間、アキが跳ねるように後ろへ身を引いて、そのタイミングで自分も彼から距離をとった。あたしの手に持つ感触は3本。アキは自分の腰の得物、一つ残ってしまった包丁に手をかけてコチラを睨みつける。失敗した、と心の中で舌打ちをする。実のところ戦い慣れてないイメージがあったが、流石に探索者なだけあって島の規則もあり、思ったよりも動きが素早い。無表情ながらも明らかな敵意の眼差しに嫌な気持ちは大きくなるが、ギルドと引けない依頼を思い無理矢理奥に閉じ込めた。あくまで平静を装いながら、演技をするように苦笑いをして右手の掏り盗った鑢と包丁2本をアキの前に見せる。
「悪いな。不本意ではあるが、得物は盗らせて貰ったよ?本当はその1本も盗りたかったんだけどな」
「どういうつもりですか・・・?」
いつもよりも低い声色のアキ。得物にかけた手に力が篭るのがコチラからでも見て取れた。
「安心しろっていうのも無理な話だろうが・・・・・大丈夫、戦うつもりはないよ」
言いながらあたしは、腰のポーチから比較的新しいハンカチを掏り盗った包丁の刃先に巻いてきつく縛る。そして自分のポーチの横に身に着けていたクローグローブを手に取り、笑みを浮かべて見せた。
「アキの店では人肉も取り扱っているのかな?」
ほんの一瞬、アキの眉が動く。あたしは畳み掛けるように続けていく。
「あたしの鼻が利くのは先日話した通りだ。遺跡探索者は魔物だけでなく探索者同士で戦うこともあるから、実際のところはニンゲンの血肉の臭いがつく事はおかしくない。だが、そんな短時間では例えついたとしても微かなものでね。魔物を倒す頻度の方が高いから必然的に臭いも混ざるんだ。よって強い臭いが残る条件を満たすのは、頻繁に殺し或いは傷つけている者か、常にソレらに触れている者。アキは肉屋もあって他の血肉の臭いで割と誤魔化せているが・・・・・・その臭いに近しい者は誤魔化せないよ。・・・・・・さて、もう一度訊こうか。ニンゲンの肉、持ってるよな?」
最後は少し声のトーンを落として尋ねた。数秒の沈黙。微かな葉擦れの音でさえやけに大きく聞こえる。武器に手をかけたままのアキは目蓋をゆっくりと閉じて、そして開いた。目の色が変わった、とでも言えばいいんだろうか?いつものにこやかな笑みは無い。黒い瞳は無表情のようで何処か深く昏い色をしているようにも見えた。
「ええ・・・持ってますよ。ルフィナさんの目的は僕の弱みを握ること・・・ですか?」
アキが尋ねる。あたしは苦笑して横に首を振り答えた。
「そんなことをしても何の得にもならないよ」
手に持っていた自分の武器であるクローグローブを自分からもアキからも離れた場所へと放り投げる。
「取引をしたい。あたしは現在ある依頼を受けて動いている。詳しい内容は機密事項だから話せない。そこはもうただ信じてもらうしかないので申し訳ないんだが・・・・その依頼で人肉がどうしても必要になってな。この遺跡には色々な種族がいるから、アキの店で人肉も取り扱ってるんじゃないかと思ってね。よかったら分けてくれないか?」
そう説明しながら、今度は奪った包丁と鑢をなるべく傷つかないようにグローブの上へと放り投げた。
「武器を回収したのは、こんな内容の話でいきなり攻撃されるのを防ぐためだ。他意はないよ。勿論譲ってもらうからには対価も支払うつもり。対価は・・・・あたしに出来る限りは出すつもりだがアキが好きに決めてくれ。あたしは本当に戦うつもりはないし、心配ならその一本は持っていてくれたままで構わない。返答を貰いたいな」
両手を挙げて苦笑し、首をかしげる。もちろん、アキとの距離はとったまま。また十数秒の沈黙が降り、少しだけ先程よりも強い風が吹いて、木々が合唱を奏でた。
しばらくしてアキは小さく溜め息をつくと、得物の包丁から手を離す。腰の紐を解いて包丁のホルダーを解いた紐でくるくるとまとめると、あたしからも彼からも遠いところへ放り投げた。全く信用が無くなったわけではないらしい。その様子に少しだけ嬉しいのと申し訳ない気持ちが入り混じって、あたしは「ありがとう」と演技ではない笑みでお礼を告げた。
「わかりました。ちなみにどのくらい・・・・どの部分が必要ですか?」
先程まであった敵意は少し和らいだようで、アキが交渉に応じる質問を投げてくる。
「頭部の肉。もし出来るなら髪・眼球・皮・頭蓋骨・首の骨かな。血もお願いしたいけど・・・・血抜きしてるから無いよな?」
「ええ、そうですね。捌く前に血抜きはしますから・・・残念ながらありません」
あたしの答えに頷いて口元に手を当てて少し考え込むアキ。
「食べる訳じゃなさそうですね・・・・粗末、にしますか?」
「え?」
少し間をおいて、予想外の質問が飛んできて、あたしは後頭を掻いた。
そうか。肉屋のアキにとってはそれも『食材』なのか。たしかにそうなのかもしれない。野菜はともかく、肉はもともと生きて動いていた命なのだから、そう考えていてもおかしくは無いなと思う。
「うーん・・・・最終的に依頼相手に渡る事になるから、あたしの手からは離れちゃうし・・・・しない、とは言いきれないな・・・・ごめん」
そう考えたら、申し訳なくなって謝罪の言葉を述べた。
「そうですか・・・・」
小さくそう呟いて、アキはまた考え込む。今度はそう間をおかず、口を開いた。
「骨・眼球・皮・髪、はお渡しします。もともと捨てるものですから、こちらに対価は要りません。そして・・・・・肉、ですが・・・・・譲ります。譲りますが、僕からもらった事を誰にも言わないことが条件です。呑みますか?」
彼の出した条件に、あたしは首を傾げて尋ね返す。
「・・・・え。そんなんでいいのか?お金とか、道具とか・・・・そういうものが来ると思ってたんだが・・・・」
「ええ。興味もありませんし。今のところ思いつかないですから」
「もしかしなくても、人肉求めたのはあたしが初めてか?」
「そうですね。こういう交渉に出たお客さんもルフィナさんが初めてです」
「そう・・・・なのか。・・・・・・ごめん」
彼の返答にますます申し訳なくなって、あたしは自分の額を抑えて項垂れた。そうなると彼が人肉を持つ理由が謎になったが、あたしはそれ以上理由も詮索もするつもりはない。アキは何も答えずに少しの間あたしの方を眺めていたが、やがて先程彼が投げた包丁を拾い上げると、
「先に行ってある程度用意してきますので、少し時間を置いてから店に来て頂けますか?」
そういって手馴れた様子で腰にホルダーを着けた。
「あ、包丁・・・・」
「いえ、大丈夫ですよ。捌くのは終っていますから・・・その包丁は店に来るときに一緒に持ってきてください」
様子に気がついて、あたしは奪った分の包丁と鑢・自分のグローブを拾い上げるが、アキは少しだけ困ったように笑って断ると、そのまま来た道を引き返していった。サク、サク、と足音がして、やがて遠くなり聞こえなくなる。彼の気配が遠のいたのを確認して大きく溜め息をつくと、あたしは拾い上げた得物を抱いてその場に座り込んだ。
「あーぁ・・・・・・もう退けないとはいえ、サイテーだなぁ自分」
ポツリと小さく呟いて、あたしはしばらくその場から動けないでいた。
